La vida de Serenita

旅とごはんと写真と読書🌾大学生のブログ🍋

#76 なぜ父は子供の頃屋上から飛び降りたのか。

📣今回から、スマホのサイズに合わせて改行するのやめてみます。 今までパソコンで編集することが多かったのですが、最後はスマホで画面のサイズに合わせて改行。微妙なところで途切れてしまうのを回避するために、言い回しを変えたり、最終作業が地味に結構めんどうだった(笑) 読みにくかったらまた戻します👀

 

 

今回もいつも通りしっかり横道にそれているので、長いのだが父の日が近いので父への思いを密かに綴ってみる。

 

いつも通り昼休み中の母からLINEがきた。

「ねえ。」

「昨日また洗濯機が壊れたの」

「なのにパパがまた直した」

「もうやだ。新しいの買ってよ💢」

 

私はオンライン授業を受けながら、返信する。

「笑笑笑」

「さすがだね」

 

 

私と一緒にいると私の母の話を1回は聞いたことがあるだろう。母と私は周りに笑われそうなくらい仲が良い。1人で暮らしていると寂しくて母に毎日のようにLINEしてしまう。

一方父の話はあまりしないと思う。大学に入るまで、一応一緒に暮らしてはいた。だが私が父と過ごすのは1年に10日もない。

 

父は地元の中小企業で普通のサラリーマン…(エンジニア?…父の仕事は一言で表せない)をしている。別に一流企業でもないし、何ならブラック企業というやつだ。私が生まれる前は別の企業で働いていて、東南アジアに赴任する話が回ってきたらしい。そこで働いていてくれれば私も帰国子女という肩書きを手に入れられていただろうし、今英語に苦労していなかったかもしれない。なのに父は海外赴任が嫌であっさりその会社を辞めた。今でも少し想像してしまう。タイやマレーシアの常夏の国で育っていたら、どんな人生だったかと。

 

父と母は海外旅行が大好きで、特に父は今までに何十カ国と旅している。3回以上訪れた国も多い。それなのに海外に住みたいとは1ミリも思わないらしい。大学時代に住んでいた都会も嫌いだ。地元が大好きらしい。こうして私は田んぼに囲まれた小さな町で生まれ育つこととなった。ついでに私のちょっと珍しい名前は、そんな父によって付けられた。(よく聞かれるけど、スペイン語で「平和な」「穏やかな」という意味がある。)

 

父の出勤日は1年365日のうち、355日以上。セールスマンということもあり、世間がお休みの日こそ売り上げを伸ばすチャンスらしい。だから「お父さんが休みだから一緒に〇〇した」という典型的な日曜日を過ごしたことは一度もない。今までで一度も。

 

幼い頃から中学生くらいまで、父は朝にしか会えない存在だった。朝起きてから7時過ぎに私が学校に行くまでの2時間弱。夜は毎日12時頃まで帰って来ない。だからちびまる子ちゃんサザエさんのように、家族みんなで食卓を囲む夕食をとることは稀だ。母は父の帰りをいつも夜遅くまで待っていた。自分の結婚した相手がこんな家庭放棄のやつだったら、私なら絶対許さない。

 

初めて労働基準法を社会の授業で習ったときは衝撃だった。基本的に労働時間は1日8時間、週40時間と決められているらしい。ぼんやりと授業を聞きながら、父の労働時間を計算し真っ青になった。急いで家に帰って母に聞いた。

「パパの会社って労働基準法違反してるの?それって良いの?捕まらない?」

 

同じ家に住んでいるはずなのに、ほとんど会わない私たち。高校生の頃だったか、妹が父に、「髪染めてるよね?」と聞かれていて大爆笑した。この時まで生まれつき私たち姉妹の髪の色素が薄いことを知らなかったのだろうか。学校の友達にすら何度も指摘してされたのに。

 

でも父は仕事が好きなのだ。仕事が好きで、24時間365日働いていたいのだ。だから、満員電車で疲れた顔をしている人たちとは違う。

 

 

留学していた時に、近所の子が自転車に乗る練習をしていた。お父さんに「絶対手離さないでね!」と女の子が言う。「離してないよ!」と言ってお父さんがそっと自転車を離す。「行ける行ける!」女の子は1人で乗れていた。日本でもごく身近にありそうな光景。一生懸命な彼女を見ながら、自分が自転車に乗れた時のことを思い出していた。だが、私の思い出にいるのは父ではない。母の兄だ。思わず母にLINEしてしまった。思い返せば幼い頃から母の兄は父の不在を埋めるかのように私たち姉妹に愛情を注いでくれた。私は幸せだった。

  

小学生の時、稀に(数年に一度)父が体調を崩して会社を休むことがあった。私の家は学区内で一番遠い地域にあった。いつもは道草を食いながら30分〜40分かかる下校の道を、そういう日は妹と猛ダッシュで帰った。「パパが休み」、そう思って校門を出るあのワクワクは妹と私にしか理解できないと思う。別にどこかに連れて行ってもらえる訳ではないのに、父が家にいるというだけで嬉しかった。ママが優しくなるのもある(笑)

私の小学校は児童数が少なすぎるため、学校行事をやるにしても親や地域の人の参加が不可欠だった。だから父もたまに運動会には来てくれた。それ以外の学校行事や習い事の発表会に来てくれたことはない。でもいつも母がいてくれたから何の不満もない。

 

私が小学2年生の頃から母も仕事をするようになり、鍵っ子デビューということになった。土曜日や夏休みはよく父方の祖父母の家に預けられた。多分私が「1日お留守番は嫌!!」と言ったのだと思う。

祖父母の家で過ごしていると、祖母が父の幼かった頃の話をよくしてくれた。そしてよく言っていた。

「パパが小さい頃、あたし仕事ばっかりしていたからなあ。パパに可哀想なことをしたのよね。もっとかまってあげれば良かった。」

父の仕事好きは祖母の遺伝だと知った。

 

ある日の夜、いつも通り私と妹は先に寝て、母が父の帰りを待っていた。でもその日は朝になる前に目が覚めた。救急車のサイレンの音だった。母に起こされた気もする。母が取り乱していて、「病院に行ってくるね、」と言い残して出て行った。それからはよく覚えていない。怖かった。何かよくないことが起きたのだと思った。

父はその日帰宅途中にバイクで単独事故を起こした。それを知ったのもいつなのか分からない。次の日学校に行ったのかも忘れてしまった。でも夏休みの少し前で、蒸し蒸しした季節だった。肋骨と腕と足の骨を折り、肺に水が溜まり、あとは覚えていないけれど、死にかけたらしい。包帯で骨折した箇所がミイラみたいになっていたけど、皮膚のえぐれている部分を見る方が気持ち悪かった。父は入院生活となり、私たちには夏休みが到来した。

私の夏休みの楽しみは、父が休みをとって家族で行く海外旅行。小さい頃からずっとそうだった。1年の中で唯一父と数日間一緒に過ごせる。この年はフィリピンに行く予定だった。でも体のあちこちを骨折した父が飛行機に乗れるわけもなく、キャンセルとなった。それが許せなくて私は泣いた気がする。父がいてくれるだけで本当はよかったのに。それ以来未だにフィリピンに行ったことがない。

 

この事故がきっかけで生活が大きく変わった。父が事故で迷惑をかけたことが母は許せないようで(多分。分からないけど)、2人はよく喧嘩をするようになった。でも最終的には父が母に屈し、早く帰宅するようになった。父は決して感情を露わにすることがないのだが、その時初めて母への愛を感じた。

「なんだかんだ、パパってママのこと好きすぎるんだなぁ」

それからは少し夜更かしをすれば夜にも父と会える日が多くなった。勉強も、小学生の時は朝にしか教えてもらえなかったけど、中学生の時は夜にも教えてもらえた。でも本当はもっと幼い頃にそばにいて欲しかった。

「こんな大きくなってからじゃ遅いよ」

 

父と話すこともなかったのだから、父に怒られた経験もほとんどない(今も)。だから留学も進路も、反対されたことが1度もない。むしろ事後報告。「あ、うちパナマ、1年行くわ」くらいの会話😅だから悩んでる時に励ましてもらえたこともない。

 

父に加え母も仕事が大好きな人間で、姉妹の仲がいいのは妹が1番そばにいてくれた存在だからだと思う。

 

幼少期を振り返ると本当は少し寂しい。

 

 

私は中学生まで理科が大好きだったが(意外かもだが、私は元科学部🔭)、それは理系の父の影響だ。私が天体や星空観察にハマると、よく夜中に連れ出された。田んぼの真ん中で父のオープンカーに寝そべり、カエルの鳴き声を聞きながら星の観察をする夏の日が好きだ。

今では完璧な文系だけど、「あれってなんで…」と疑問が湧き、すぐに調べたくなると父の遺伝子だなと思う🧬それから、壊れた電化製品などを自分で分解して原因究明したくなるところも。

 

私の両親は英語が話せない。だから私が英語が好きなのは遺伝ではない。たまに思う。得意なのが英語じゃなくて、父のように理科と数学だったらなぁと。

母の家系は勉強に関しては😇という感じだから(笑)、母はいつも言っていた。

「自分が馬鹿だから絶対頭の良い人と結婚したかったの!」

母が頭が良いと言う父は、大学の共通一次前日、バイクを乗り回して見事浪人している。(笑)

 

他にも色々と父はやらかしている。

高校時代父は写真部だった。だが、廊下で販売している修学旅行の写真の写真を撮って、自分で現像して、その業者よりも安く友達に販売し、除名処分となったらしい。(笑)

 

それから小学生の頃、高速で1時間半ほどかかる渓谷まで1人で自転車で行ったらしい。

行動力と体力、信じられない。。

 

母とLAに行った時はレンタカーを借りたが、アメリカの右側通行に慣れていなかったためハイウェイを逆走し、すれ違う車から中指を立てられたとか笑

 

あと、衝撃なのはこれ。父の実家は高床なので3階建てで、その上に屋上が付いている。父は雪が積もっている時に、何を思ったのか屋上から飛び降りて骨折の大怪我を負ったらしい。

人生で何回も死にかけるやつって相当いないと思う。

 

やばいやつなのだが、ギリギリで生きているあたりが好きだ。自由で大胆で、勇気があって、やってみたいことを曲げずに挑戦し、生命力に溢れている。

 

父は多趣味で、旅行以外にも大学時代にバンドをやっていた話や、スキーやスノボにハマっていた話をしてくれる。私〇〇やってみたい、というと、俺も大学生のとき〇〇やったことあるんだよなぁ、と言われる。もはややったことないものはあるのだろうか。

だから私も色んなことを経験したい。父のように私も自分に子供ができた時、自分の人生の話がしたい。父の話を聞くたびにそう思っていたが、気づけば話の中の父と同じ大学生ももう終わりが近づいている。私は自分の子供にどんな話ができるだろうか。濃い人生を送っているだろうか。

 

 

最近父は家の修理をしている。私が生まれた時に建てられた家なので、今年で築23年。以前エアコンの室外機が燃えた(?)事件で外壁が黒く焦げていたのだが、父が外壁を塗り直した。実家は雪国ではよく見る傾斜のついた屋根なのだが、最近雪の滑りが悪くなっていた。そこで父は屋根のペンキを塗り替えた。ちなみに高床なので屋根は3階の高さ同等だが、命綱もなしに会社から乗ってきた高所作業車を1人で操作し、そこから飛び移るように屋根にひょいと登っていた。それから、サンルームの板も貼り替えた。これは私と妹が小学生のとき、いつも通り留守番をしていたら、大雨になり窓全開のサンルームに雨が入ってきてなんと浸水し、板が傷んだ件だ。(今でもこの時の話で妹と私は大爆笑できる。)玄関のペンキ塗りも、水漏れ修理や畳の張り替えも、全て父にできてしまう。

 

ついでに父は色々な種類の運転免許も持っている。私や妹が東京に引っ越す時は大型トラックを運転してくれた。多分父が1番好きなことは運転だ。実はレーサーがやるような色々な技ができる。

 

冒頭の話に戻る。今に始まった話ではないが、10年以上使っている洗濯機がエラーを出しまくっている。もう数年前から壊れては父が直すを繰り返していた。今回こそはもう本当に壊れたと思ったのに、また直ってしまった。母が「ケチ!」とお怒りだが、その気持ちも分かる。私も新品が欲しい。

 

にしてもどうして何でもできるんだろう。父一人いれば色々な業者に頼んでお金を払わなければいけないことが全部完了してしまう。

 

本当に私は父のようになりたい。

心から父に憧れる。

 

綺麗にメイクできて上手に料理できるような「女子力」とやらはいらないので、父のようなバイタリティと創造力とチャレンジ精神と、あと理系的な頭脳が私は切実に欲しい。

 

綺麗は劣化する。可愛いは消える。

でも、生き様の真実は絶対消えない。

ー『20代で得た知見』/ F

 

結局はこういうことなのだと思ったり。

 

 

ふと春休みに、父のように自分の子供に話せる話となることをしたくて、自宅から十数キロ離れたところまで歩いてみた。結果靴擦れで目標の一駅手前から電車で帰宅する羽目になった。しかしそれが悔しくて、数日後別な目標地を設定し再び歩いて靴擦れを悪化させた。この時負った人生最悪の靴擦れで、しばらく冬なのにサンダル生活。かかとの皮膚が広範囲えぐられており、靴擦れも侮れないのだと、傷口感染のリスクを説明する母にめちゃくちゃ怒られた。

 

去年スノボを始めたのも父の影響があった。今私は完全にスノボにハマった。何が良いって、多分派手に転んだ時に、思いっきり斜面に体を打ち付けられる、あの感覚かもしれない。まだ上手くないので凸凹した雪にエッジが取られ、スピードが出ていると「ガッ」という音と共にバランスを崩し、体が勢いよく飛ばされる。そのまま雪面に叩きつけられ、「ザザザー」っと斜面を降る。止まって目を開けると、目の前に広がる真っ青な空が最高に綺麗で。体が痛くて動きたくない。もう怖くて滑りたくない。けれどあの痛みと恐怖の狭間で見える青空が、生きていることを実感させてくれる。心臓の鼓動を噛み締められるあの感覚はクセになる。

ああもしかしたら父もそれが味わいたくて屋上から飛び降りたのかもしれない。

 

心の赴くまま生きる父に憧れ、「やってみたい」を「やってみたい」のままで終わらせないように全部挑戦する。(いや、別に屋上からは飛び降りないけど笑) ピアノも練習してる。歴史に残る名作映画も大量に見た。今はそばの実からそばを作りたいし、スパイスの勉強もしたい。

 

 

父と多くの時間を一緒に過ごしたわけではないが、幼い頃から大好きだった。

 

今、私は父の生き様に夢中だ。

 

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